2011年05月31日

「決定力不足」&「【忖度】」その後

 ・・・・・ありゃ?
 気が付けば五月も終わろうとしている・・・・・。
 またまた一ヶ月以上の空白やん!

 ま、おっさんの勤勉さなんてそんなもんだ、・・・ってことでるんるん

 さて、コチラコチラで、いわゆるサラリーマン的出世にしくじったおっさんでありますが、どーやら明日から昇進して、そもそも希望していた経理部に行くらしい顔(チラッ)
 今度はすでに全社員に人事異動の通達も流れているからハズレなしだとは思うが、今までが今までだからなぁ・・・。明日、出社したら「やっぱや〜めた」なーんて言われても不思議じゃない顔(ペロッ)
 ま、半分冗談ですがねるんるん (⇐残り半分は?)

 ・・・・・さて、そんなわけで足かけ1年間の「マテ」がようやく解除となったわけですが、なんか「マテ」が解除されたというよりは「棚から牡丹餅」って心境です。昨年末以降は「マテ」をしているつもりがまったくなかったもんで顔(汗)まあ、牡丹餅が美味しいか不味いかはこれから先の話ではありますが顔(ペロッ)

 図らずもコチラで「人生万事塞翁が馬」と記したように、昨秋の人事異動が当初の思惑通りに適用されていたら今回の話はなかっただろうし、そう考えると、何が幸いするか本当にわからない。
 ホント「捨てる神あれば拾う神あり」です。
 今年はやっぱり神さまがついている気がするわーい(嬉しい顔)

 なにはともあれ、これでわずかながらも昇給があるわけですし、ようやくウィル殿下のオヤツもグレードアップします。

 おまたせexclamation
 ウィリアム犬(笑)
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2011年04月19日

阿呆くさぁ・・・

 茨城県某市が福島県からの転入者に対して放射線被曝検査の証明書提示を求めたんだって。この指示は市民課の課長さんが出したそうである。

 そのほかにも、
 高速道路のSAに福島ナンバーの車が停まっていると「どけ」とか言われたり、転校生が福島出身だとイジめられたりしてるんだって。

 あのさぁ・・・・・。

放射能は【ウィルス】ぢゃねーしっ!


 伝染んねーよ、悪いけど。

 六十数年前に、

「Hiroshima」「Nagasaki」に、
原子爆弾を落とされ、そこで散々な誤解や偏見がうまれて、
とても痛い目にあったはずなのに、
この国の人々はいったい何を学んで来たんだろう?
教える方も、教わる方も。


 その一方で、頼みもしないのに「義援金」募集のボランティア(?)が雨後のタケノコのように街角に立ってるんだから、笑っちまうよなぁ・・・・・。

 まあ、100人が100人、すべて善人でもなければすべて悪人でもないから仕方ないかも知れないけどな。

「人」に対する風評被害。
コイツの伝播を食い止めるのが最大の急務かも知れない。


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2011年02月28日

殺意

 
 ・・・・・いや、物騒なタイトルですみません。

 でも、ま、「殺意を覚える」とはこういうことか、と実感しちゃったもんで。


 おっさんの今の職場が、年齢を問わず女性比率が高い事はコチラで記したとおりです。
 ですので、ロマンスが生まれることもあれば、そこまで至らず消えていくせつない悲恋もあり、各所で十人十色、百人百色の人生劇場が展開されていたりもするようです。
 自分の人生の主人公は自分。
 がんばれexclamation×2それぞれの主演男優、主演女優黒ハート



 ・・・・・なのですが。
 物語が浮くにせよ沈むにせよ、それが『恋愛』という物語のくくりの中に収まっていればあまり問題はないのですが、中にはそこをはみ出しちゃうケースもあり、そういった場合は望むと望まないとに関わらず『セクハラ』なんて言われちゃったりします。
 個人的には、セクハラとかパワハラってすごく判定が微妙だなぁ、と考えておりまして、そーいうネタには極力近寄りたくないなと思っています。なんというか出川哲朗さんと木村拓哉さんが同じ行為をしたとして、片方はセクハラになるけど片方はならない、みたいな(失礼!)。要は受け手の感性次第で、それが愛情表現にもなれば迷惑行為にもなるってことです。
 ま、そこは「触らぬ神にたたりなし」ってことで、職場内でそーいう行ないは控えておくに越したことはありませんです、ハイ顔(汗)

 しかし、そーいうことって起きる時には起きちゃうんですね。
 おっさんの担当する事業所でも起きちゃいました。
 しかも内容が『セクハラ』っていうよりも『強制わいせつ』に属すると思われる出来事が、クライアント側従業員によっておっさんの会社の女性従業員にされちゃいました・・・・・。

 「かんべんしてくれよ、まったく」と思いつつも、頭を抱えているワケにもいかんので、被害者から事情を聞き、大体の経緯を把握するとおっさんは上席に報告と相談をしました。この上席とはコチラの記事『ご本人様』です顔(イヒヒ)

 おっさんの会社のお仕事は人材派遣とは若干異なりますが、とにかく決められた営業時間に従業員を配置していなきゃイカンという請負契約業務です。ですので何らかの事情によって当日の予定者が勤務不能になった場合、代勤者の手当をつけねばなりません。できない場合、契約不履行になってしまうのです。
 が、事態が事態ですし、勤務不能の理由が理由ですので、おっさんは、
「クライアントに事実確認と代勤者の確保ができない場合の休業許可を交渉に行こうと思います」
 と、相談をしました。





 「それは契約上、言えないなぁ」
 「はい〜〜〜exclamation&question左またまた杉下右京風に!)

 「その人(被害者)はさぁ・・・、もう仕事に行かないって言ってるの?」




 あたり前だろっっっ!!!ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)




 瞬間的に本気で『首、絞めてやろう』と思ったね。
 確かに、現場担当者のおっさんと経営に携わる上席ご本人様とでは、立場・視点の違いはあるかも知れん。・・・にしても、第一声でそれはねえだろう。
 自社従業員が何らかの被害者となったとして、まずそれを守ろうとしない組織でどうするよ?

 おまえはっ!
 自分の嫁さんが被害者だったとしてっ!!
 それでもっ!!!
 その職場に「行け」と言えるのかっ!?!?!?

 
 ダメだ。完全にダメだ。
 「オワってる」とは感じていたが、まさかこれほどとは。
 『忖度』以前の問題だ。
 小学校の『道徳』からやり直せっ!

 もう、ね。
 何が良いとか悪いとかのレベルじゃないね。
 火の粉が自分に降りかかってやけどでもしない限り、例え自分の家が焼けてたとしても『対岸の火事』なんだろうね、きっと。こーいう人は。

 も、いいわ・・・・・。
 おっさん、自分で判断して最善と思われる行動に移ります。
 結果、請負契約が解除になったとしても知ったことか。
 会社がなくても人は生きていけるけど、人がいないと会社は作れんのだよ。
 おっさんはそれが正しいと思う。
 あえてどちらかを選ばなければならないとしたら、おっさんは常に『会社』ではなく『人』を選んでいきたいと思います。


 物騒なタイトルだったんで、最後はお花を見て和んで下され。
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またオイラの出番なしャ〜〜!!(ウィル)
・・・・・つ、次は出すからっ(とーさん)



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2011年01月15日

【忖度】

そんたく【忖度】
(名)
スル
〔補説〕 「忖」も「度」もはかる意
他人の気持ちをおしはかること。推察。

[ 大辞林 提供: 三省堂 ]


 ・・・・・・・ですって。
 勤め先の社長が訓示の中で紹介しておりました。
 したら、サラリーマンやねぇ。
 みなさん、度あるごとに「忖度」を使う、使う。
 まるで自分が見つけてきたかのように(苦笑)。
 
 3ヶ月前にニンジンゲットをしくじったおっさんは、淡々と、粛々と、お勤めをしております。
 なんつーか、ニンジンがなくなったら却って気楽になりました。
 特に昨年12月以降は拾ってくれた神サンがいることもあり、
 「まあ、とりあえずどうでもいいか♪」と。
 昇進したくない訳ではないけれど、したらしたで窮屈になりそうな気もするし、もともとさほど勤労意欲旺盛でもないので、今は時間にゆとりのあるぺーぺーの方が性に合っていると感じています。将来性と財政に不安は感じますが、当面なんとか転がっているので、夕飯の心配は昼飯を食べてからすることにしました。

 ところが、そーんな気持ちになった途端にまたニンジンが出現バッド(下向き矢印)
 昇進して関西の営業所に行かないか?ですと。
 「はい〜〜〜exclamation&questionグッド(上向き矢印)(←杉下右京風に)
 いわく、秋の組織改編で昇進させなかったことは申し訳なく思っている。ところが本社では現在ポストがない。しかし、関西営業所で管理職を欲しがっているので、どだ?
 ・・・・・と、いうことだそうです。






 そりゃあ、表面上は気楽な独り者だけんどもさ。
 20年近く返済の残った一戸建てと老人の入り口に立っているおっかさんおっ放り出して、昇進して関西に行け?
 や〜なこった顔(ペロッ)
 ま、会社組織の人事ですから個人事情を考慮しないのも当然と言えば当然ではありますが、にしてもねぇ(溜息)。


 わかっちゃねぇなぁ。
 おっさん、昇進できなかったことに腹を立てているのではなく(そりゃ決定直後は腹も立てていたが)、昇進見送りの決定をキチンと告知してくれなかったことに腹を立てているのよ。ニンジンぶら下げて期待させるだけさせておいて、それを土壇場でひっくり返し、そのまま放置した不誠実さに腹を立てているのよちっ(怒った顔)

 まるで【忖度】できてねぇ。
 正直、えらそーではありますが、
 「オワってんな、コイツら」
 と、思いました。
 まあ、職場・仕事に対する価値観の相違もあるでしょうから、どちらが正しいとは言いませんが、今のおっさんにとって今の会社は生活のための手段であって、ウィル殿下も含めて手段のために現在の環境を変化させなければならないとしたら、手段の方を変えるだけのことです。
 言い換えれば、今の会社に環境変化に勝るだけの魅力が無いっちゅーことです。いち労働者として。

 けどまあ、まだ『そこ』にいる身ですからね。
 許容範囲内で頑張ってはいきます、ハイ(苦笑)。
 文句を言わず、淡々と、粛々と。

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・・・・・いや、ひじょーに【忖度】しやすいのですが?

2011年01月03日

完全復活♪

 ・・・・・って、ブログじゃないよ♪
 ブログは今まで通り、気分で書きますので2〜3か月は平気で沈黙します。

 ・・・・・〜んーーーー。
 ただ。
 メンタル的には完全復活で♪

 なんつーか、捨てる神あれば拾う神ありってとこですかいね?

 拾った神サンが福の神である保証はないのだけど、逆に考えれば捨てた神サンが福の神であったかもわからないわけであり。
 一緒にいる時はね、舞い上がっているからさ。
 てっきり福の神だと思い込んでいるけれど、よくよく考えると、はて?本当に福は来てたのでしょうか?と。
 まあ、失礼っちゃ失礼だとは思うが、絶対値で考えればあくまで結果ですから。
 そう思うと、年末この方、今の状況の方が福が来ていると思うので、まぁ、拾われたことで良しとするかと。

 ということで、せっかく拾ってくれた神サンがいるわけですから、今度は捨てられないようにするべぃか、と思っているおっさんであります。
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2010年10月19日

困った時の「貫一郎」さん

 ・・・・・ってなわけで、目前のオヤツがわけもわからず消えてしまってひたすら「ぼーぜん」としているようなウィル殿下を笑えないおっさんであります。殿下、これからは意味不明な「マテ」は控えるよ顔(泣)

 とはいえ、いつまでも「ぼーぜん」としているわけにもいかんので、心のデフラグをせねば!
 ってことで、そう、困った時の「貫一郎」さんであります。
 え? わからん!って?
 そうだよね。
 それはこれからお話しますが、・・・・・にしても、今回は語り口調の文節が多いな。ネタばれ、ネタばれ顔(ペロッ)

 件の「貫一郎」さんとは「吉村貫一郎」のことを指しています。
 「吉村貫一郎」とは浅田次郎さんの時代小説「壬生義士伝」の主人公であり、ほぼ架空の新撰組幹部隊士のことです。
 ほぼ架空というのは、さまざまな文献資料などで「吉村貫一郎」という人物が実在したことは間違いないのですが、「新撰組始末記」で語られるこの人の逸話は作者子母澤寛の創作であり、重要な登場人物であり南部藩の大野次郎右衛門なる方は架空の人物であることがハッキリしているそうです。
 浅田さんは、この実在した人物の架空の逸話にスポットを当てて素晴らしい作品を世に送り出して下さいました。
 えらそーですが個人的に感謝感謝でございます。

 物語の詳細は本を読んで頂くとして、何が困った時の「貫一郎」さんなのか? ということなのですが。

 時は幕末、舞台は長かった侍の世の終焉。
 「貫一郎」さんは新撰組隊士なのですから、一応は幕府側の侍ということになります。しかし、実態は故郷南部藩の家族を養うためにやむなく脱藩をして京都に出稼ぎに来た、身分は足軽の半農民であります。
 もともと新撰組ってのは侍の身分に憧れて、都で一旗揚げてやろうと飛び込んできた百姓や浪人などの寄せ集めですから、他の隊士も程度の差はあれ境遇は「貫一郎」さんとあまり変わらない。が、家族を養うためにってのは「貫一郎」さんだけ。だから表面上、とてもケチな田舎侍。新撰組はそうとう羽振りがよかったそうで結構な給金を頂けたうえに、命のやり取りをする最前線ですから働きに応じての臨時手当も大盤振る舞いだったそうです。ですから自分が多少の贅沢をしても十分な仕送りができたはずですが、「貫一郎」さんは給金手当の全額を毎回必ず送金し、自分はほころびだらけの着物に痩せ刀。けど、腕は滅法たって危険な仕事は常に最前線に出ていく。
 そんな風変りの守銭奴田舎侍を周囲の人々がどのように見ていたか、を、明治維新を生き抜くことができた関係人物が、過去を述懐しながら当時気付かなかった新たな発見をしていく、という語り口調の文体で書かれています。
 新撰組ってのは先ほども述べたように、百姓・浪人・下級武士の寄せ集めですから「本物の侍」にとてつもなく憧れており、行動原理は「侍とはかくあるべし」ということに終始しています。ですのでとにかく「武士道」なるものにこだわり、些細な規則違反でも厳罰を下し隊士に「切腹」をさせたりします。ただ「切腹」ってのも「侍」にとっては非常に名誉な死刑であり「切腹」すら許されずに首を刎ねられるってのは侍にとって恥辱の極みだったそうです。裏を返せば出自のよくわからない新選組隊士に切腹させるということは「侍として死なせてやる」ことだったわけです。つまり、それだけ「侍」であることにこだわっていたということです。
 そのような武士道第一主義の組織にあって「貫一郎」さんは異色の存在でした。
 家族を養うために仕送りするのは良しとしても、自分が赤貧にあえいでまでしなくてもいいだろう、と。稼ぎが低いならともかく、切ったはったの最前線で命を的に高い給金をもらっているのだから贅沢してもバチはあたるまい。それよりも「侍」なんてのは見栄をはってナンボの商売じゃ。まして新撰組は命がけで見栄を張らにゃあならんのだ。金と命を惜しんでなんになる。その上、時代はどーも幕府側の「侍」にとってよくない方向に向かっている。せいぜい派手に死に花をさかせようじゃあないか!ってなもんが当時の新撰組の状態でした。
 ところがどんだけカッコをつけて見栄を張っていたとしても、まあ人間ですから、いざとなると色んな迷いが出てくる。ついには鳥羽伏見の戦いで薩長軍の錦の御旗を見た新撰組は潰走寸前の逃げ腰になってしまう。誰もが見栄も誇りも失いその場に崩れそうになる中、それまで「侍」の風上にも置けない守銭奴の田舎侍と思われていた「貫一郎」さんはただ一人、大音声で見栄を切り雲霞のごとき薩長軍に向かっていく、と。
 最後はちょっとはしょってしまいましたが、お話の流れは大体こんな感じです。
 話の筋だけだとなかなかテーマが見えてこないのですが、おっさんの解釈はこうです。
 つまり、故郷では足軽という身分から満足に家族を養うことができない父としての不適格者であった「寛一郎」さんは、その甲斐性を満たすために脱藩をして新選組に入りました。だから「侍」としての見栄や矜持なんぞどうでもよく、ひたすら家族に仕送りをしました。それが彼の目的だったから。しかし、新撰組に入隊したことによって身分は足軽から最終的には直参旗本並(内実はともかく)となりました。徳川幕府の禄をはみ徳川家の家臣となったわけです。それは故郷では超えることのできなかった身分の壁を越えさせてくれたということです。「貫一郎」さんという個人を認めて評価をしてくれたのです。人としてとてもうれしいことです。その徳川家が滅亡のふちに追い込まれようとしているとき、家臣として逃げ出すことができるでしょうか?
 「貫一郎」さんの答えは「否」でした。
 ここには大いなる矛盾が発生します。家族を養う父として生きるならば、その死は責任放棄を意味します。一方、認めてくれた徳川幕府に義を尽くすならば、わが身を案じて逃げ出すことは不義以外の何物でもありません。
 父として生きるのか、臣として死するのか。
 ただ、どれだけどん詰まりになったとしても、曲げてはいけない節義ってのはあると思います。「貫一郎」さんの家族が生きながらえたのは、幕臣となった「貫一郎」さんの稼ぎのおかげであるならば、たとえその先が責任放棄となったとしても、稼ぎの元の幕府が倒れるその日まで幕府を裏切るような真似はしちゃならねぇ、と。それが人としての義ではないかとおっさんは思うのです。

 実際のお話はもうちょっと複雑で、おっさんのつたない解説では足らない部分が多く存在します。
 特に、展開の中心は関係人物の述懐ですが、幕間では「貫一郎」さんの命火が尽きるまでの時間を「貫一郎」さんのモノローグでつづられています。そこがまた人間の感情の機微がうまく描かれていて胸に沁みます。行きつ戻りつの繰り返しやなぁ、と。

 いずれにせよ、おっさんは何かしらに息づまるとこの作品を読み返しています。
 その度に「貫一郎」さんのように生きたいなぁ、と思います。
 自分の「義」ってんですかね?
 そいつにだけは反しないようにしたいな、と。
 ま、現実世界はなかなかにそうシンプルではないんですが(苦笑)

 では、最後は「貫一郎」さんの作中でのセリフで締めたいと思います。

「新撰組隊士吉村貫一郎、徳川の殿軍ばお努め申っす。
一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、
拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。
お相手いたす」
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人生万事塞翁が馬


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2010年10月17日

決定力不足

 野球やサッカーの試合で、優勢にゲームを進めているのに点が取れないことってあるじゃないですか。

 毎回のようにランナーを出してワンアウト満塁とかノーアウト2、3塁にするのにあと1本のヒットが出ない。敵陣でボールを回して再三シュートを打つんだけれども枠をとらえなかったりポストに嫌われたりして得点できない。
 俗に「決定力不足」なんて言われますな野球サッカー
 で、そんなこんなで試合が進む間に優勢に戦っていたはずなのに、パスボールで失点したりオウンゴールをしちゃったりして先に点を取られてしまう。
 選手もサポーターも「あれexclamation&question」ってなもんです顔(汗)
 そのあと逆転できるかどうかは別にして、その時点では「流れ」が相手チームにいってしまうことがほとんどで、その後の試合展開はそれまでの攻撃型から守備型になってしまうことが多いように思います。
 やっぱ決める時に決めないと「幸運の女神」はすぐに浮気するっちゅーことですかねぇ?

 いやね、仕事で昇進の話があったですよ。半年前から。

 4月に昇進推薦をされた話が告げられ、その時は時期尚早ってことで「マテ」がかかった。
 6月には正式に昇進伺いの稟議書があげられトップの内諾は得たが10月に大幅な組織変更があるのでその時に、ってことでやはり「マテ」がかかった。
 で、9月になって社内で組織変更の話が噂され各方面で対象者には次々と打診がされているのに、待てど暮らせどおっさんにはなぁんの話もない。昇進するにせぇしないにせぇ、とにかく「マテ」のコマンドが入ったままの状態が続き、10月を10日後に控えた頃に、社員のスケジュール管理を行うネット掲示板にて10月からの新役職者の会議参加者の中に自分の名前が記されていなかった時、おっさんは自分の昇進見送りを認識しました。
 「お魚は網の中」と思っていたけどいつの間にか網には穴があいていた、ってとこですなぁ。
 あ、表現が割と他人事なのは、スネてるわけじゃあないっすよ。
 そーいう気持ちがないかといえばウソになるけど、仕方ないよね、自分が決めることではないから。会社組織である以上、事情があってそういう決定になったのだろうし、給料を頂く立場としてはお上の決定には従わねば。無論、昇進を見送られる何かしらの理由がおっさん側にもあったのでしょう、きっと。

 ただね。
 なんでその事実を掲示板で認識せにゃならんのだ?
 おっさんを推薦し稟議書を書いたご本人は、それが結果として通らなかったことを当然、知っていたはずだ。知っていたからこそ新役職者の会議予定も組めるわけだしね。
 
 「ニンジン」ぶらさげて「マテ」をかけたからには、「ニンジン」取り上げるにしろ「マテ」を解除するにしろ、その行為の責任はとって頂きたかった。
 中には取り上げられた「ニンジン」めがけて牙を剥く犬もいるだろうが、それによって怪我をすることもあるかも知れないが、それはやはり仕方がない。だって、ご褒美ぶら下げて期待させちゃったんだもん。
 結局、掲示板に予定が発表されて2、3日経ってからおっさんが「事情を聞かせて下さい」と申し出るまで、ご本人からはなんのアクションも無し。
 中には、9月中のおっさんが明らかにイラついているように見えたそうなので「話しづらかったんだよ」という同僚もいたけど、それは違う。
 少なくともおっさんより上席にあり、かつ自分で広げたフロシキならば、たたむのもまた自分でなければならない、とおっさんは思うし、それが上席責任者の務めだと。
 6月に「マテ」がかかった時、ご本人はこう言いました。
 『カラ手形をきるつもりはないが・・・・・』 と。
 しかし、結果、その手形は不渡り手形になっちまったのさ。
 企業が不渡りをだしたら1回目で金融機関の取引停止。2回目で倒産。もっとも金融機関取引停止になれば事実上は倒産同然だから、その時点でジ・エンドなんだがね。
 じゃあ不渡り手形をつかまされた債権者に対して、その債務者が何をするかってことになれば、専門家に頼んで債権者集会開催? ま、それもあるけれど、まずはすっとんでいって「申し訳ございません!」でしょ?フツー。それが誠意ってもんだよね?違うかな?
 それすら出来ずに、こちらから問い質してから四の五の言い訳されてもむなしく響くだけですがな・・・・・。
 100歩譲って「決定を告げたらおっさん落ち込むよなぁ、可哀想だよなぁ」というのがご本人の優しさだったとしても、その優しさ故に、おっさんが少し落ち着いてから言おうと思っていたとしても、おっさんが先手を打ってしまった以上、その優しさは消費期限の切れた生鮮食品同然。なんの値打もありません。処分に困る生ゴミにしかならんのですよ。
 正直そこまで思いたくはないが、おっさんが何も言わなければご本人はハッキリ言わずに済まそうとしていたんじゃなかろうか?とさえ感じてしまうわけですよ。やれやれ。

 さて、やっと前振りと背景説明が終わったるんるん
 ここからが本題るんるん

 あくまでも「今にして思えば」という前置きをした上での話となりますが、やはり4月、6月の段階で昇進を確定できなかったのが今回の結果を導き出した要因なのかな、と感じたりします。
 時期尚早?組織変更??
 きわめて正論ではありますが何事でもそうであるように、物事のできない理由、やらない理由をつけることは割と簡単だと思います。極端な話「うーん、それはどうもなぁ・・・」と言って首をひねっていりゃ済むわけですから。それこそ枠をとらえたシュートがポストにはじかれてしまった時「あー、運が悪い」と言う解説者とレベルは変わりません。
 一方、物事が決まる時っていうのはホント拍子抜けするくらいにあっさり決まります。ウィリアムを我が家へと思った時、当時の様々な事情・環境を思いあぐねていた割には、それこそ「この子ください」「いいですよ」と即断即決でした。そこに運命とかが作用するとは思いたくはないけれど、強いて言えば「ツキ」とか「流れ」ってのはあるように思います。
 つまり、決まらなかった理由が何なのかはわかりませんが(説明もねーし顔(イヒヒ))、流れはきていたけどおっさんにその流れに乗るだけの実力がなかったのか、あるいは昇進の話がきたことを「流れ」と思ったけど実はおっさんの単なる勘違いだったのか、いずれにせよ、決まるべき話であればスッと決まっていたんじゃないのかなぁ、と。要するに、何らかの決定力が不足していた、という訳ですかねぇ顔(ペロッ)

 まあ内的な事情はどうあれ、この半年間は「ニンジン」ゲットめがけて攻撃的な仕事をしていたわけですが、そこで決めきることができずに「流れ」というか「風向き」が変わった事実は受け止めなければなりますまい。よって今後しばらくは守備的な仕事に徹してカウンターアタックのチャンスを待つ、と。試合終了のホイッスルが鳴るまでにチャンスが来るかどうかはわかりませんが、まずはこれ以上の失点を防ぐことから始めないとゲームが成り立ちませんからね。今はとにかくミスをしないで確実に相手の攻撃の芽を摘んでいくこととしましょう。

 ・・・・・・に、してもだな。
 いやぁ、昇進して昇給があれば、ウィル王子にももう少しイイおやつをあげられるな、と期待していただけに、ホント、残念るんるん
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スンマセン、殿下
もうちょっとの間、安物で我慢してつかぁさい


ニックネーム ウィルとーさん at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月24日

がんばれ!岡田ジャパン!!

 世論なんて、こんなモンですかねぇ。

 W杯初戦、カメルーン代表に勝つまでは、これでもかってくらいに叩かれていた岡田監督。
 今や『名将』状態顔(ぷんっ)
 まさに『勝てば官軍』ということですかな。

 病に倒れたオシム前監督のあとを受けて代表監督になった岡田さん。
 前回も更迭された加茂監督のあとを受けて監督になりました。
 つくづく、こういう星の元に生まれてしまったんやね、と、おっさんは感じてます。
 きっと、
 「最初からオレにやらせてくれよ」
 と思ってるんじゃないかなぁ?

 おっさんには、サッカーの戦術とか岡田監督の向き不向きは、よくわかりません。
 でも、いつでも【代打】の彼に、神サマは素晴らしい舞台を用意してくれました。
 あとは精一杯の演技をするのみです。

 がんばってるんるん
 岡田ジャパンexclamation×2
にっぽん、チャチャチャ♪♪♪
・・・って、これはバリボーか?


 
ニックネーム ウィルとーさん at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月22日

世界にひとつだけの花

 名曲です。

 おっさんは大好きです。

 SMAPが歌うバージョンもいいけれど、槇原さんが歌うセルフカバーが特に好きです。別にSMAPがキライなわけではありませんが。

 けど、納得いかないこともありました。
 この曲が流行っていた頃、春の甲子園大会の入場行進曲に選ばれたことです。
 ナンバー1を決める大会の入場に、オンリー1はねぇだろう、と。
 流行ってるから、ってものでもないと思うのですが・・・・・?(。_ _)

 ナンバー1には「ならなくてもいい」だけであって、ナンバー1になってはいけないわけでもなく、どんなことであれナンバー1になることにはすごく意味のあることだと思います。
 ただ、頑張った結果としてナンバー1になれなかったとしても、それは無意味なことではなく、精一杯頑張った証しがオンリー1となる所以となるのだと考えています。

 まさにキモはその部分。
 ナンバー1を目指して頑張ったから、結果そうなれなかったとしてもオンリー1になれるのであって、ナンバー1になろうと努力もしないで、もともと特別なオンリー1とか言っちゃってると、それはでっかい間違いだぞ、と。極論ですけど。
 バケツの中でしゃんと胸を張って咲いているからオンリー1なのであり、バケツの中でしおれちゃってる花には魅力なんて無いのですよ。

 そこを勘違いしている方は多いやね。
 まあ、頑張り方にも個人差があると思うので一概には言えないし、頑張った自分の主観的評価と客観的評価が一致するとは限らないので、必ずしも外部からの評価がすべてではないとは思いますが。

 ただやはり、自分がオンリー1として「ひと山いくら」の人生を送らないためには、結果が思うとおりにならないことが続いているとしても、頑張っている自分を褒めてあげられるココロのゆとりを忘れてはならないと思います。
 ココロのゆとりを失うと、結果の比較でしか物事を測れなくなるように思いますし、結果しか見ないと視野は限りなく狭くなります。その導き出す答えは、過程に対する賞賛ではなく結果に対する妬みにしかならないかと。

 だからこそ、オンリー1としての自分を認めてあげるには、頑張っている自分を褒めてあげることができる「自負」が必要だと思うのですね。
 「自負」は言葉を代えれば「自己満足」と言っても良いです。
 よくしたもので、上っ面の言葉でどんだけ自分をつくろっても、根本で満足をしていないと、自分を褒めてあげることはできません。経験上。
 オレはこんだけ頑張ってるんだ、って叫んでみても、本能的にベストを尽くしていない自分をちゃんと感じていると思います。
 そんな自分を愛することができるでしょうか?
 ムリでしょ、普通。
 よく言われるように「自分を愛することができない人は他人を愛することができない」とは、まさにこのことを表現しているのかなぁ、と思います。「愛する」を「許す」に代えても意味は同じです。そして、決して「甘やかす」のではなく、自分に優しくできない人は同様に他人に優しくできない、とおっさんは思うのです。
 
 必ずしもナンバー1になれないとしても、輝いているオンリー1であり続けるためには、時に厳しく時には優しく、上手くやれている時もしくじっている時も、自分のすべてを認めてあげることがはじめの一歩だと思います。

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説教臭くてごめんなさ〜い♪



ニックネーム ウィルとーさん at 10:25| Comment(1) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

仮面ライダーにはなれないが

 元奥さんが、曲がりなりにもまだ奥さんとして活動していた頃のお話。

 会社で忘年会がありまして、おっさんはしたたかに酔っちまいました。

 それなりの恋愛をした後に結婚をして、一度、倒れたことのあるおっかさんとは一緒にいてやりてぇ、と思ったことから2世帯の家を建て、子供はなかったものの血統書付きの犬を飼い、端から見れば普通に幸せそうな家庭だったことでしょう。当時の状況は。
 でもね。
 ちょうどその頃、おっさんは気付きはじめていたんですね。
 いちおう一家の主として標準的な苦労をしている割には、嫁さんも、おっかさんも、おっさんも、だぁれも幸せになっちゃいない、って事にね。なにせ笑わねーんだもん、誰も。単発ギャグで笑うことはあってもさ、その頃の3人の顔つきはみんな同じでね。基本、シワ寄っちゃってんの、眉間にね。

 だからですかねぇ。
 3次会のカラオケBOXで、普段は飲まないシャンパンなんぞをラッパ飲みしてね、酒を初めて飲んだ高校生みたいに記憶を無くしちまいました。
 
 それでも「酔っ払いにケガなし」とのたとえ通りに、日付が変わる前には家まではたどり着きまして、まあなんとか良い亭主の面目は保ったらしいです。
 ところが、着いた家の玄関先ですっ転んじまったらしく、たたきに顔を打ちつけたおっさんは下唇を切ってしまった。唇や指先ってのは毛細血管が集中してますからね、傷の深さ以上に派手に出血してしまう。まして記憶がすっ飛んじまうくらいアルコールが入っている身体ですから、現場はちょっとした流血の大惨事って状況になってしまったらしいです。

 らしい、らしい、の表現が多いのは、おっさんは記憶を失っていますから、当時の奥さんの証言によって話を進めているからです。

 で、出血にパニくった奥さんは、救急車を呼んでおっさんを病院に担ぎ込んだ。・・・らしい。ところが傷はまったくもって大したこともなく、縫合もせずに絆創膏を一枚貼って終わってしまった。ただ、そーとーに酔っ払っているので、しばらく酔いを醒ましてから帰宅したほうが良いでしょう、ってことになった。・・・らしい。

 まー、迷惑な患者だね、どーも。

 処置が終わるまではわからなかったとはいえ、絆創膏一枚の傷に救急車で来るってんだから。その上、どーしようもない酔っ払い。先生もアタマ抱えただろうね。

 そんなわけで、夜中で誰もいない待合ロビーで横になっていたおっさんは、突然なにを思ったか、
「変身!変身!」
と、叫びながら病院内を駆け回った。・・・らしい。

 その行動は深夜勤務の看護師さん達の笑いを大いに誘ったようでありますが、本人まったく記憶にございません。ただ、それが元奥さんの創作でないことははっきりしています。その日のおっさんの断片的な記憶の中に、自宅ではないところ(病院と思われる)の廊下を何か叫びながら走っているビジョンがおぼろげながら残っているのです。

 だからまあ、多少の脚色はあったにせよ、元奥さんの証言に近いことを、おっさんがやらかしたことは事実であると思います。

 ・・・・・・・・・・にしても、なぜ「変身」なのか?
 確かに子供の頃から「仮面ライダー」が大好きではありましたが。






 「変身」・・・・・・・・・・したかったんやねぇ、自分。

 表面ではなく内面的に、当時の家族関係というのはかなり危機的状況にはあったと思っています。
 なにしろ、本当の意思の疎通がまったくできない。
 一緒に生活しているわけですから、業務連絡的なあいさつと会話は毎日あるわけです。しかし実際に発せられる言葉の裏には、その言葉とは180度ベクトルの異なる感情が見え隠れ。3人が3人ともぎこちない笑顔の下に刃物を隠し持っているのがバレバレなんですゎ。まるで3人そろって「シザーハンズ」状態(苦笑)。
 そんな状態で日々生活しておりますと、人間どんどん意固地になっていくんですね。
 普通に精神のバランスがとれている状態だと簡単に許せることが許せなかったり、おなかを抱えて笑えるような出来事があったとしても、素直に笑うことなく「笑い」の裏を読みたがる。
 皮肉と見下し?
 そんなものが標準言語になってしまう。

 仕事だろーとプライベートだろーと、人間関係の基本は「ゆずりあいと気遣い」だと、おっさんは思っています。ましてニッポン人なれば、まさに「和をもって尊しとなす」「仲良きことは美しきかな」ってなもんで、「察しと思いやり」が身上であるはずなんですが(また苦笑)。
 
 当時はそんなの「なにそれ?」って状況でしたからね。
 3人の誰かの希望を100%通そうとすると、3人のうちの誰かが0%にならざるを得ない。大体にして希望が100%叶うことなどそうそうあるものではないので、本来であれば、
「まあまあ、そうは言ってもさ、みんながみんなあれもこれもできるわけじゃないんだからさ。お互い50%から60%で、あとは少しづつ100%を目指そうよ」
 って、コトになると思うのですがね。
 通用しないね。自分が正しい!と思った殻にとじこもった人には。
 だから、ドロ沼長期戦。
 しかも、もがけばもがくほど、あがけばあがくほど深みにハマるばかり。

 だーかーらー・・・・・、「変身」したかったんやねぇ。自分。

 仮面ライダーみたいに「変身!」って叫んで、改造人間の超人的な力を手に入れて、八方ふさがりな状況を、ライダーパンチでバキンッ!ライダーキックでドカンッ!って、一気に解決したかったんだろうねぇ。

 でも、仮面ライダーにはなれんのよ。
 改造手術受けてねーし。
 生身の人間が抱えた問題は、生身の人間じゃなきゃ解決できんのよ。
 もっと言ってしまえば、人間から受けた傷は人間からでしか癒せんのよ。
 まあ、傷を与えた人間と、傷を癒す人間が、必ずしも同一人物である必要はないのだが。

 いずれにしても、おっさん、いろいろ勉強になりました。
 仮面ライダーにならずとも、生身の自分には生身の自分なりの、傷や問題の解決の仕方があるってことを。もちろん、自身もそれなりに傷ついてのことではあるのだけれど。

 そして、当時に比べて少しは力が付いたかな、と。

 これから先まだまだ、自分が負傷することがあるでしょう。
 また、負傷した人に関わることもあるかも知れません。
 でも、せっかく付いた力です。
 自分も含めてそういう人に出会った時には、惜しみなく手助けをしたいと思います。
 仮面ライダーにはなれませんが、生身の自分、身の丈の自分ができるかぎりの力で。

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へん〜しんっ!とうっ!!


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2010年06月05日

備えあれば憂いなし。

 【備えあれば憂いなし】
 ・・・・・というと、キチンと準備をしておけば失敗してヘコむことはない、って思われがちですが、おっさんの解釈はちと違います。
 どーんなに綿密にあらゆる事態を想定して「準備」をしても、失敗する時はしますよ。それこそ運命でそう決まっていたかのように、「なんで?」って状況でしくじるときはしくじります(苦笑)。
 じゃあ、どーせ失敗するのならと「準備」に手を抜くとどうなるか?ってえと、確率100%でヘコむことになります。ヘコんだ結果は「ちゃんとやっておけば良かった」と「悔い」という名の親友を連れてきます、たぶん。

 今のおっさんのお仕事は、大勢のアルバイトさんのマネジメントです。
 職種の特性上、アルバイトさんは年齢を問わず女性が多いです。
 ですので、まあ・・・、その・・・、ちょっとアヤシい気分になっちまうこともあるわけです。そんな時、ブレーキ踏むかアクセル踏むかは「状況・環境」に大きく左右はされますが、根本的には人間の感情に属する現象なので、そーゆー気分を持つなっどんっ(衝撃)ってもね、それは、ムリだと思います。
 会社には、おっさんの他にもマネジメント担当者はおりまして、当然おっさんみたいな気分を持っちゃう方もいるわけで、中には、目の前カベだっつーのにアクセルを目一杯踏み込んで派手な自損事故に至ってしまうケースもあるようです。

 まあ、アクセル踏もうがブレーキかけようが、この手の話ってのは所詮なるようにしかならないので、火の粉がわが身に降りかからねば「オレの知ったこっちゃねえや」ってのがおっさん的ホンネです。40過ぎて他人様の色恋沙汰に付き合っているヒマはないッス。

 ただ、ね。
 やっぱ職場ですから「アクセルの踏み方」ってのはあると思うですよ。
 まして立場的にマネジメント担当者はアルバイトさんの上席に当たるわけですからね。
 仕事を餌に「釣り」をするようなまねはイカンでしょう。
 また、自分の思い通りにならんからといって、立場を利用して仕事の割り振りに不利益をしちゃイカンでしょう。
 人がなぜ「労働」するかといえば基本は「生きるため」なんですから、上記のようなことをする担当者は、対象のアルバイトさんの「生きる権利」を侵害していると言えます。

 さすがに会社もその辺りのコトを察したようで、近々その担当者さんはブッとばされるようですが、むしろ問題はそのあとなんだよなぁ・・・・・・。

 解雇にするのか退職に追い込むかは分かりませんが、それが成立した時点で会社と担当者は縁が切れるので、その後になにが起ころうと、表面的には会社が責を問われる法的義務はないと言えます。しかし、担当者は職務権限上アルバイトさんの個人情報をかなり所持しています。無論、ブッとばすにあたって業務上のデータベースは当然回収するでしょうが、職務上の権力(ちから)を自分の力と履き違えて平気で乱用するような人ですからね。個人情報の複製を所持していないとは誰も言えないと思います。

 まあ、組織と個人の力を勘違いするヤツですから、おっさんとしてはそいつのハートは「チキン」と判断しております。ですので、組織を離れた時点で力のよりどころを失い9割がた何事もなく、忘却の彼方へ消えていくとは思うのですが・・・・・・。

 1割にハマっちまったら、ヤバいよ。
 なにするかわからんよ、そいつ。
 そして、そんなヤツを長々と使ってた会社、縁切ったから責任なしとは言えんよ。おっさん的センスでは。
 なによりも最悪の事態が起きてしまったら、忘れられない「悔い」が残るよ、きっと。マトモな人間ならね。

 残念ながらこの件に関し、おっさんは何かを言ったり決めたりできる立場にはおりません。したがって基本的には結果を見守るしかないのです。
 ですが、可能性として起こりえる事を充分に考慮し、それに備える準備をし、万全の体制を整えてことに臨んで欲しいと思っています。

 ・・・・・・・・とりあえずおっさんは「木刀」を押入れから出しておこう。
 小学校の修学旅行で、日光で買ったヤツ。



オイラの出番無しなん?(byウィリアム)

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2010年05月28日

男の甲斐性

 ・・・・・・って、なんすか?

 お金をたくさん稼ぐことっすか?
 高級外車や大きな家を買うことっすか?
 それとも、夜な夜な繁華街にくりだして女遊びすることっすか?

 ・・・・・・・む〜〜〜。
 どれもしっくりこねぇ・・・・・・。

 おっさんは近頃、思うのです。
 ”男の甲斐性(ってか人間の甲斐性)”というのはやはり、
『てめぇの広げた風呂敷きをどんだけたためるか?』だと。

 そして、エッサホイサと風呂敷きをたたんでいった結果、金持ちになったり、その延長線上で外車が買えたりでかい家が持てたりするのではないか、と。
 まあ、繁華街で女遊びをするかどうかは本人の趣味、なによりもキャラクターに由来する行動だと思うので、深い追求は止めておきまふ。

 もっとも、たくさんの風呂敷きをたたんだ結果が必ずしも上記の現象を連れてくるとは限らないわけで、なにをもって『甲斐性』の尺度とするかは、意見の分かれるトコでしょう。
 最近、社会の金の流れが明らかにおかしいと思うし・・・・・・・・(-。-) ぼそっ。

 ただ、広げた風呂敷きは少しづつでもたたんでいかないと、部屋は散らかるばかりだしね。下手すりゃてめぇが広げた風呂敷きにからまって、足をとられて転んでしまうこともあるわけです。
 で、転んでヒザをすりむいて、痛ぇのなんのと言ったって自業自得。
 「ツバでもつけとけっ!」ってコトで終わっちゃうのです。

 5月もあと残り数日になってポッポ首相の周辺が賑やかですね。
 話題はもちろん「辺野古」です。
 ポッポ首相の発言詳細については報道にたくさん出ているので割愛しますが、常々おっさんは、
「ものすごい勢いで風呂敷き広げちゃってるね、この人は・・・」
と感じていました。個々の政策の実現観測は別にしても、まあ、よくも次から次に景気のイイ言葉が出てくるな、と半ば感心し半ば呆れておりましたがく〜(落胆した顔)

 ポッポ首相には悪いが、沖縄県の「米軍基地問題」というのは沖縄の日本返還以後40年近くにわたって、根本的には誰も解決できなかった案件だ。
 それを事実上の選挙公約に掲げ、最初は「2009年内解決」とブチあげ、しくじると「2010年5月末」とのたまった。しかもその途中で「最低でも県外」「命を賭けて5月末決着に取り組む」などと合いの手をいれ、今現在に至る。
 言った本人には自分を鼓舞する意味もあったのかも知れないが、スマぬ・・・貴方の言動を聞いて見ていると、命どころかビタ銭一文すら賭けているようには見えんのだ。
 半ば以上、挙動不審者にしか見えない近頃のポッポ首相の目つきを見ていると、
「・・・あ〜あ。とうとう自分で広げた風呂敷きに、足、絡めとられちゃったよ」
 と、感じてしまうのである。
 そして同時に、甲斐性ねぇな、と。
 広げた風呂敷きたためないと思ったら、なんで素直に「ゴメンナサイ」が言えんのかな?
 まあ、還暦過ぎてなお、おかあちゃんから「子供手当」もらってた人だからね。さもありなんではあるのだけど。

 風呂敷き広げるのはね、割と簡単にできるですよ。
 また、広げるつもりはなくても、結果として広がっちゃうこともあるし。
 その場のノリと勢いでね、好むと好まざるとにかかわらず。
 だからこそ、広げたにしろ広がったにしろ、たたむ作業に真摯に取り組む姿勢が、その人の甲斐性であるとも思う訳で。

 国政を担うポッポ首相に比べれば、おっさんが背負っているものなど小さくてチンケな物かも知れないが、小さいからこそしっかりと、守っていける甲斐性を身に付けたいと思う今日この頃である。

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・・・まあ、しっかり頼むよ、殿下♪


ニックネーム ウィルとーさん at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

放置ブログからこんにちは

 いつものコトながら激しく放置。
 最後の【わんにゃん】更新から10ヶ月・・・・・・・・。
 最早、なにも言うことはありますまい。

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 この10ヶ月、ウィル王子は元気でした犬(笑)
 ケガも病気もせず医者要らず。
 なにはなくことも週末の草っぱらではっちゃけておりました。

 ところがさて、とーさんは?といいますとexclamation&question
いや、ウィル同様、病気もケガもしてません。ビンボーではありましたが、生活苦というほどすさんでもいませんでした。
 ただ、なんつーか、2008年2月20日以降、目標を失ってしまったというか、進むべき道がわからなくなってしまったというか・・・・・・。
 日常の中でやらねばならぬこと、こなさねばならぬことはたくさんあったわけで、それはそれで消化してはいましたが、終わりが見えない不安と焦燥とでも申しましょうか、まるでゴールが見えない障害物競走をしているような感覚でした。
 日々を「生きる」ことだけで手一杯な方たちから見れば「フザケんなっ!」って話ですけどね。

 離婚したことを後悔しているわけではないけれど、するまでは自分の人生の終着点が良いにつけ悪いにつけ見えてはいたわけです。嫁さんとワンコ養ってフツーに老いていくんだな、ってことで。で、終着点がそこであるならば、そこに行き着くまでにどんなことをしようか?ってのが、日々の目標設定基準値だったわけです。

 ところが、自身で選んだ「離婚」によって終着点を無くしちゃったもんだから、日々の目標設定ができない、できたとしてもすべてが単発イベントでモチベーションが長続きしないのです。

 理屈が多くて、つくづく難儀やね、自分・・・・・・・・(-。-) ぼそっ。


 【時計】 時刻を知り、また時間を計るのに使う器機。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

 だそうです。
 が、スポーツなどでよくゲームを中断する時、「時計を止める」って表現をしますよね?
 実際に時間が止まるわけではないのだけど、そこに限っては意図的に時間が経過していないことにする、ってことかな。
さて、時計を止めたのが電池を抜いたからなのか故障したからなのかは分かりませんが、この2年半、いやさ実態としては更に半年以上をさかのぼるのが事の発端でありますから、丸々3年、おっさんの時計は止まっていた、と、今になって思うのですよ。ま、スポーツと違って意図的に、ではないところがミソではありますが(苦笑)。
 表現を変えれば行き先を決めないでナビを設定しようとしていたようなものですね。そら、前に進みませんがな・・・・・・。

 じゃあ今は行き先が決まったの?ってことになりますが、実のところ決まってはいません顔(ペロッ)
 ただ、方向は見えたかな、とるんるん
 その方向はいずれおいおいってことで。

 いずれにせよ、感覚的に止まることはあったとしても、時計の巻き戻しは絶対に不可能なので、だとしたら「ゆっくり」でも前に進んだほうが楽しいかなと思うようになりました。

 そんなことを感じた雨の一日でございました。
 
思い出はいつもキレイだけど
それだけじゃおなかが空くの〜るんるん
(JUDY&MARY そばかす)


ニックネーム ウィルとーさん at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

サクラ、サク♪

 
 時節柄、各地でサクラのお花が満開となり、その下で宴たけなわな今日この頃、ミナサマいかがお過ごしでしょうか?(←素晴らしくアヤシイ日本語だ)

 そんなことはともかく、本当にあちこちで桜がキレイに満開を向かえていますね〜♪
 昨年と違ってサラリーマン生活に戻ったおっさんは通勤の行き帰りで満開の桜を眺めつつ、行きは「会社、行きたくねぇなぁ・・・」と思い、帰りは「今晩は何をツマミに一杯、呑もうかなぁ・・・」と思っています(←素晴らしくフキンシン丸出しだ)


そんな今日、見つけたのがコレ下

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 コレも桜でしたexclamation×2
 ・・・・・・・まあ、ものの見事に幹はばっさり切り落とされ、花が咲いていなければ、ちょっと背の高い切りカブにしか見えないコレ。
 でも、季節がきたらちゃんと花を咲かせているんですね。

 おっさんはなんだか素直に感動を覚えました。
 
 おそらく、ここに植えられたのも人間の都合、そしてきっと邪魔になったか何かの理由で、育った幹を失ったのも人間の都合。
 だけど、そんなことはなんでもなかったかのように、季節が来たら花を咲かせているんです。
 もちろん、大きな桜木のように立派でもなければ艶やかでもないけれど、今の自分に出来ることを、文字通り身の丈に合わせて淡々とこなしているように、おっさんには思えました。


 「おめぇさんも頑張ってるんだなぁ・・・・・」
 そう、心でつぶやいたおっさんに、この切りカブ桜は、
 「イヤ、あっしは頑張ってるんじゃなくて、あっしに出来ることをフツーにしているだけですぜ、ダンナ」
 と、応えてくれた気がしました。


 そんなことを思ったら急に、最近の二足歩行動物の行ないと言うのが情けなくなりました。
 
 「誰でもイイから人を殺したかった」って言って8人も殺傷しちゃった困ったちゃんがいたかと思えば、明らかにそれに触発されて模倣したとしたしか思えない2匹目のドジョウの困ったちゃんもいましたね。
 そうかと思えば「自殺をしようとしたけど死に切れなくて、人を殺せば死刑になると考えて」見ず知らずのタクシー運転手を棍棒で殴って重症を負わせた超自己チューの困ったちゃんも居たっけなぁ。


 フツーにおかしくねっすか?最近。

 極端な言い方ですが、おっさんは自殺肯定派です。
 自分で考えて考えて考え抜いて、それでも自分の将来に希望が持てないとしか思えないなら、自分で自分の人生劇場に幕を引くというのも選択枝のひとつでしょう。観客がどれほど続きを見たいと言っても、主演が舞台に立ち続けられないというなら、残念ながら上演終了とせざるを得ません。
 しかし、自分の劇場に幕引きをするからといって他人の劇場の幕まで引いて良いはずがないし、ましてや自分で幕が引けないからって他人(司法)に幕を下ろして貰おうとするなんざ言語道断!
 ・・・・・・・としか、おっさんには思えんのですがねー。


 どうやら二足歩行動物の世界はカクジツにアヤシイ方向に進み始めてるような気がしてならない最近のおっさんです。

 そんな中で出会った【切りカブ桜】(←勝手に命名しましたが、何か?)
 たとえどんなめにあったとしても、その時々で、身の丈に合わせて素直に生きていく【強かさ】を教えてもらった気がしました。
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・・・・・・・・・・わかりました。仕事しますよもうやだ〜(悲しい顔)

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サクラだけにバナーもサクラ色るんるん

ニックネーム ウィルとーさん at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月20日

終わりの終わり、んで、始まりの始まり

 
 昨日、調停に決着がついた。

 着地点は、おっさん的には【理不尽】ともいえる内容となったが、まあ、物事の見方には様々な角度がある訳だし、おっさんとしては事ここに至るまでにやれるだけのことはやった、という充実感と、理不尽な着地点も含めて最後まで、自分の信じる【信義】に背くことなく結果を出せたことに非常に満足している。
 無論、おっさんもごく普通の人間であるから、これまでに間違いが無かったかといえばそんなことはありえないし、過去を振り返ってみて、あの日あの時のあの選択は本当に正しかったのだろうか?と自問自答し反省はしているが、一方でその時その時のベストは尽くしてきたと自負しているので、後悔の念はほとんど無い。

 そもそも「勝ち・負け」で論ずることではないが、決着したのはあえていうなら、おっさんの「勇気ある撤退」であり、決して「無条件降伏」をしたのではない、と自信をもって言い切れる。
 
 そういう思いが残っただけで、おっさんは満足である。

 強いて心残りがあるとすれば、これで完全にジャスミンとも縁が切れてしまったということだろうか。

 だが、それについても、最近少し違った考えが芽生えてきている。

 『物事・事象のすべては本来あるべきところに帰ろうとする』という説がある。この説に従えば、ジャスミンの居るべき場所は本来おっさんのもとではなかったのかも知れない、ということになる。
 ミケねーちゃんから始まったおっさんの犬猫ライフであるが、ジャスミンだけが、【商品】として【金銭】と引き換えにおっさんの手元にやって来た存在だった。何度か記述しているが、おっさんとしてはどうしても金銭で命を売買することに対して強い違和感があるので、そういった意味ではジャスミンは、そもそもおっさんにとっては異端の存在であったのだ。誤解の無いように言っておくが、事情はどうあれジャスミンを手放したことに対して贖罪の念から自己弁護をしているわけではない。
 
 では何が言いたいのかといえば、その答えはジャスミンを購入した経緯にあるのである。
 結果として何故ジャスミンを購入したのかというと、何回か足を運んだ里親会で良縁に結びつかなかったからであり、ではなぜおっさんが自分の節をまげて命の売買をしたかといえば、当時の家庭生活の中でペットの存在が早急に必要な状況だと判断したからである。つまり、情け容赦なく言い切ってしまえば、その当時は犬なら何でも良かったのだ。必ずしもジャスミンでなくてはならない理由は無かったのだ。

 一方、ウィリアムに関していえば、あの時点のおっさんの状況と環境ではウィリアムでなければならなかったのだ。
 おっさんとしては、ジャスミンが居なくなっても犬は飼い続けたい。だが、今度はバァバでもある程度のお世話が可能なサイズで無ければならないし、おっさんが犬と暮らしたいのは一緒に外で遊んだりしたいからなので、あまり老犬でもうまくない。なおかつジャスミンと暮らしたことによってシェルティの犬質を非常に気に入っていたので、出来れば次もシェルティがいい。
 おっさんの様々な思惑が交錯する中、本当にタイミングよくすべての条件を兼ね備えて、目前に飛び出してきたのがウィリアムなのだ。
 以前にも記したことなので詳細は省くが、単身・高齢の家庭であるにもかかわらず、以前はまったく上手くいかなかった里親会で一発OKをもらうことが出来たのは、ウィリアムが本来帰るべき場所はやはりおっさんのもとであったのではないか? 感じてしまうのである。

 話をジャスミンに戻す。
 
 ジャスミンとウィリアムに対して、おっさんの愛情に差があるかと質問されれば、それは無い、と断言する。ジャスミンはジャスミンだし、ウィリアムはウィリアムだ。もっともそれ以前に、もし本当にそういう質問をおっさんにしてくるヤツが居たとしたら思いっきり「バカヤロウッ!」と言ってやる。
 それでもなお、今、手元にウィリアムがいてジャスミンがいないということは、やはり、ジャスミンにとって、おっさんのもとというのは少なくとも今現在は、本来帰るべき場所ではなかったのかも知れない。
 
 だからといって、ジャスかーさんのもとがジャスミンの帰るべき場所であるか否かについては、少々、感情的な部分も含めて疑問は残るが、おっさんが節を曲げて欲した犬であったからこそ、おっさんのもとが安住の地にならなかったのではないか?と考えてしまうのだ。

 無論、商品として流通していたという一点をもってジャスミンに罪があったわけではないし、どんなルートであれ家族としてジャスミンを迎え入れたことに偽りはない。ただ、根本的な部分で、おっさんのエゴを承知でいうならば、自分の節を曲げて、言い方を変えれば自己の【信義】に背いて迎えたことは事実である。
 だからこそジャスミンとは、家族として迎えた動物は必ず責任をもって最後を看取るべし、というおっさんの信念に反するような、いわば【生き別れ】という別れ方をする破目になってしまったのかも知れない。やはり信に背く行ないをすればそれに相応しい結末が用意されている、ということであろうか?

 いずれにせよ最早、ジャスミンに対しておっさんがしてあげられることはほぼ皆無に等しい。それでも尚、ジャスミンに関わった一人の人間として、できるだけ幸せに天寿をまっとうして欲しいと願ってやまない。
 一方、ウィリアムについてはこれからが始まりである。
 これから先、どれだけの時間を一緒に過ごすことになるかはわからないが、ウィリアムにとっての帰るべき場所は間違いなくおっさんのもとであり、また、常にウィリアムが安心して帰れる場所であり続けることを、おっさんは固く心に誓うのである。

 以下余談(苦笑)
 『物事・事象のすべては本来あるべきところに帰ろうとする』という説に基づくのであれば、もし、ジャスミンにとっての帰るべき場所がおっさんのもとであるなら、どれだけ時間が経っても、ジャスミンは帰ってくる、ともいえる。
 その日が来ることの是非は論じても意味は無いが、もし、そういう日が来るとしたら、やはりジャスミンが安心して帰ってこられる「お散歩隊」を維持し続けることが、今のおっさんに出来る最大のお仕事ではないか、と思っている。


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2008年01月06日

リ・スタート

 
 年が明けて1週間。
 おっさんとしては、明日からが本当の意味での再出発となります。

 思えばちょうど昨年の今頃から、いろんなことの歯車が狂いだして、結果として出入りの激しいゴルフをしたような1年間になりました。

 ただ、ブログの上ではボギーやダブルボギーが大きく目立っただけで、それなりにバーディやイーグルも出たし、何よりウィリアムと縁がつながったことはまさにホール・イン・ワンに値する出来事でした。
 ですからスコアとしてならしてみれば、決して負け試合の1年ではなかったように思います。

 でも、出入りの激しいゴルフはギャラリーはもちろん、やっている本人も非常に疲れますので、今年はできるだけパー・プレイの試合を心がけたいものです(苦笑)。

 よく、人生がマラソンに例えられますが、おっさん的にはちょうど折り返し地点のコーンに躓いてすっ転んだらおまけにシューズまで脱げちゃった、って感じの状態で、レースを棄権するか真剣に考えたりもしましたが、沿道の応援者の方々の声援・拍手に励まされ、とにかく完走目指して走り出す気になりました。

 まだまだ人生捨てたモンじゃない♪
 さぁて、では走り出すとしましょうか♪


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とーちゃん、テキトーにダラァっと頑張りや!

オイラも後から付いてくでぇ〜〜〜♪


おっさんの最大の応援者、ウィル王子にポチッるんるんっとなexclamation

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2007年12月24日

おっさん的「クリスマス・ソング」

 
 言わずと知れたクリスマス・イヴ。
 皆さま、いかがお過ごしでしょうか?


 ウィル殿下はクリスマスといえど平常心です(←当たり前)。

 さて、クリスマスと言えばやはり「クリスマス・ソング」。
 それぞれ、お気に入りの曲がいくつかあることでしょう。


 おっさんとしては、昔から馴染みのあるもので言えば、まずは『赤鼻のトナカイ』です。
 子供心に「どんなモノでも必ず役に立てる時が来るんだ!」という歌詞のメッセージ性がとても強く響いたのを憶えています。
 BGM的なメロディとしては『ホワイト・クリスマス』が一番好きかな?
 なんていうか、雰囲気が最もクリスマスに合っている気がします。


 ここ数年は、松本人志さん作詞で浜田雅功さんと槇原敬之さんが歌う『チキンライス』がお気に入り♪
 幸いなことに、ウチは特別に貧乏でも裕福でもなかったし、親に気を遣っていた訳でもないけれど、外食というと必ずと言っていいほど「チャーシュー麺」を注文していた子供の頃の自分が思い出されて・・・。
 自分が大人になってお金を稼ぐようになり、また様々な面で物質が豊かになって便利になって、それこそ桁外れの高望みさえしなければ欲しいものは大概、手に入れることが出来るようになりました。
 けれどその一方で、子供の頃のような、
【お出かけ→外食→チャーシュー麺→ひゃっほう♪】みたいな「素朴な幸福感」みたいなものは、年齢とともに薄くなっていっているような気がして、妙に感情移入しちゃう歌なのです。


 んー・・・・・、だけど今年はやっぱり、槇原敬之さんの『雪に願いを』が一番はまるかなぁ(苦笑)。
 優しい気持ちよりは、憤りとか虚しさとかを覚える日の方がはるかに多い1年だったので、せめてクリスマスくらいは歌詞のように「優しい気持ち」でいたいですからね〜。


さて、
皆さまはどのようにクリスマス・イヴを過ごされたのでしょうか?
いずれにせよ、


サンタが忙しい今夜、

みんなに素敵な笑顔つもりますように・・・。

(槇原敬之)

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・・・・・来年はサンタにそう頼んでおくよ・・・・・。

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2007年12月17日

親の背中

 
 よく、子供は「親の背中を見て育つ」という。
 その一方で、「親は無くとも子は育つ」ともいう。


 はてさて、どちらが「真実」なりや?

 ただどちらの言葉も、子供は自分で学習していくものだ、という視点に立っての言葉だと私は思う。つまり、子供という生き物は時間の経過にしたがって、特に何かを教えていかなくとも親なり身近な大人なりを見ながら、半ば以上勝手に成長していくものなのだ。だからこそ、親は、大人は、子供たちが間違った方向に成長しないように、人として、できるだけ間違った生き様をしないようにしなければならないのだと思う。

 あまり良くない表現だが、いわゆる「出来の悪い子供」を指して「子育てを間違った」と言う親がいる。一見、自己反省をしているように聞こえるが、果たして間違ったのは子育てだけなのだろうか? その親自身の生き様に、どこかしら人として間違った部分があったから、結果として子育て間違ったのではないのだろうか?
 逆に、凡庸な親に比して「出来の良い子供」とその親を「トンビが鷹を産んだ」などという。しかし、残念ながらこれは生物学上ありえない。どんなに立派であってもトンビはトンビでしかない。だが、限りなく鷹に近い立派なトンビに育ったとしたら、その親トンビは子トンビにとってたとえ「反面教師」であったとしても、人としての生き様に間違いが少なかったからこそ、鷹と見まがうほどのトンビにも育つのだ。

 「子は親の鏡」とも言う。
 もし鏡に歪んだ像が映っているとしたら、多くの場合、最初に歪んでいるのは『鏡』ではなく『像』の方だ。出来立ての『鏡』が歪んでいることなど、まずありえない。だが、『鏡』が成長していく過程でなんとか理想の正しい『像』を映そうと、いわば本来不必要であるはずの努力を強いられるから、知らず知らずのうちに『鏡』それ自身も歪んでしまうのだ。やがて歪んだ『鏡』が新たな『鏡』産み出す環境になると、その新たな『鏡』がどうなるかは、何をか言わんや、である。負の連鎖は終わらない。


 抽象的な前置きが長くなったが、私は現在、【調停】なるものに取り組んでいる。

 【調停】とは、揉め事の解決に当たり当事者間では話し合いにならない場合、家庭裁判所の調停委員の仲立ちのもと、解決に向かって話し合いを進める制度である。家庭裁判所で行なうこととはいえ、裁判と大きく違うのは、あくまでも「話し合い」による問題の解決であって、調停委員が判決を出す訳ではない。したがって、両者の合意があれば、合意点が極端に常識はずれのところに落ち着いたにせよ、調停そのものは成立する。
 しかし、常識はずれの事を言うから揉め事が調停にまで発展したのであり、かつ、あくまで「話し合い」とは言っても第三者に介入してもらうわけだから、主張すべきは主張するガチンコ勝負だ。その中で、調停委員の客観的な意見も参考にしつつ、自分の意見が妥当かどうかを分析しながら、折れるところは折れ、譲れないところは譲れない理由を根拠をもって主張し、妥協点を模索していくのである。


 【調停】は本来、当事者のみの出席が原則だが、私の調停は、相手方に事情があり、相手方の父親も後見人的存在として出席している。
 揉め事の相手はあくまで相手方本人ではあるが、まだ揉め事が調停にまで発展する以前に、私と相手方の父親との間に揉め事に関連する、ある約束事があったので、前回の調停時に調停委員を通じてその約束の履行について父親に質問をしてみた。ちなみにその約束は、父親の方から申し出てきたことである。

 その返答に、私は開いた口がふさがらなかった。

 「約束そのものが無かった」と(私にとって)ウソをつき、しらばっくれるなら、腹は立つが理解は出来る。所詮、口約束。どこにも証拠などありもしないので、調停委員に真実はわかりはしない。損得かけ引きのガチンコ勝負ならそれもアリだろう。あるいは、「約束はしたが、事があまりにも大きくなったので、気が変わった」というなら、これも腹立たしいが理解できなくは無い。相手の立場に立てば、子の利益を守るために親が身体を張っているという見方が出来なくもないからだ。


 だが、父親の返答はそのどちらでもなかった。

 「確かに約束はしましたが、法律的にはアナタ(私)が義務を負うべきものです。ですから、いつか戻してもらうつもりでした」


 ・・・・・戻してもらうつもりでした?
 ・・・・・ったく、法律を盾にした言い逃れかよ。
 だったら最初から約束なんかすんじゃねーよ(怒)


 しかし、この回答によって、私はすべてが腑に落ちた。
 揉め事の発端以降、いや、揉め事が水面下から浮上する以前から、二転三転する相手方の発言が、その親から受け継がれた「その場しのぎの言い逃れによる処世術」によるものだということがである。

 
 どこの家庭にも大なり小なり、親子ゲンカ・夫婦ゲンカはあることだろう。
 しかしその解決が、真摯な謝罪や反省ではなく、あるいは、その人の本心からの信念とか信条とかによるもので行なわれず、言い逃れうわべだけの法律論で行なわれてきたとしたら、その家庭の『鏡』には一体どんな『像』が映るのだろうか? そして、何を学習していくのだろうか?


 繰り返して言う。
 「子は親の鏡である」
 『鏡』に、人として正しい『像』を映したいと願うのであれば、やはり『像』が正しくあろうとしなければ、『鏡』に正しいものは映らない。『鏡』が映せるのは、確かにそこにある実体だけなのだ。
 また、【正しい】とは法律に触れることをしないとか犯罪を犯していないとか、あるいは、良い学校を出ているかとか社会的身分が高位にあるとかではなく、【人としてどこまで真剣に生きているか?】ということであり、言葉で語れるものではなく、その人の生き様【背中】でしか語れないものだと私は考える。


 これから先、私が2本足の子供を持つ機会に恵まれるかどうかはわからない。しかし、もしそのような機会に恵まれたとしたら、きちんと【背中】で語れる親になりたいし、また、そうなれるよう生きて行こうと考えている。

 ・・・・・幸いなことに、4つ足の息子はどうやら私を頼れるとーちゃんだと認めてくれているようで、日々、私の背中を追いかけてくれている。

最早、ランキングなんぞ見ちゃいませんが、
それでも更新したので貼っときます・・・・・もうやだ〜(悲しい顔)

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ウィル王子のお誕生日にコメントを寄せていただいた方々、
コメント返しが遅くなっていて申し訳ございません。
いろいろ思うところがありまして、
ブログ更新も含め、またそれなりにやっていくつもりでいます。
ですので、スミマセン。もう少しお時間を下さい。



 
 


ニックネーム ウィルとーさん at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

依存傾向と人格的障害

【注意】 私は専門家ではありませんので、あくまでも私の私的見解です。


 現在、大騒ぎになっている時津風部屋新人力士死亡事件。
 不謹慎ながらおっさんはこの事件を大変、興味深く拝見させていただいている。
 というのも、ここ1日2日の時津風親方の言動が精神的に未発達な子供の行ないに見えて仕方がないからだ。


 おっさんは、依存傾向の強い人ほど、専門医にかかればなんらかの人格障害と認められる人が多いように思う。そのような人は概して現実の認識能力に甘さがみられ、自分を守るために行動しているはずが、かえって墓穴を掘っていることが多い。

 時津風親方を例に考えれば、事の経緯はどうであれ不自然な形で『人が一人、死亡した』のだ。
 まず、この現実に対する認識が甘すぎる。
 何はともあれ、家族に謝罪し、相撲協会に報告し、機会が与えられたなら釈明すべきを釈明し・・・、というのがまっとうな流れのはずだが、親方はほんの3,4日前まではほぼ沈黙を貫いていた。これは、親方の思考としては『相撲部屋で人が死ぬのは前にもあったこと。格闘技の世界だから仕方がない』くらいに思って、大した事にはなるまいと考えていたからだと思われる。また、騒ぎになったとしても協会が何とかしてくれるだろう、とも打算はしていたことだろう。


 ところが、親方の「黙して語らず」は世間に不誠実な印象を与え、味方になるとばかり思っていた協会までもが文部科学省にそそのかされる形で「解雇処分」の検討を始めた。
 親方としては計算違いもいいところだろう。
 まあ「黙して語らず」という、最初に導き出した答え自体が間違っていたのだから、計算が合うはずがないのだが・・・。


 いずれにしても打算が狂った親方は、民放TVに協会無許可で出演して自己弁護をしたり、弁護士の入れ知恵で協会に釈明の上申書を提出したりしているようだが、その行動全てが世間の神経を更に逆撫でしていることに気が付いていない。
 これも、現状認識の甘さである。


 ましてやTVでの自己弁護では、総じて『ワシは止めろと言ったが、弟子たちが勝手にやった』との論旨で語られていたが、おっさんは開いた口がふさがらなかった。
 思わず、「責任者」って言葉、知ってます?と問いかけたくなったほどだ。

 親方の自己弁護には「自己愛性人格障害」の傾向がみてとれる。
 要は『オレは悪くない』と言いたいように聞こえるからだ。


 自己愛性人格障害をごく間単に説明すると「自分は特別な人間であり、仮に物事が上手くいかないのは自分の力が足りないからではなく誰かが上手くいかないように仕組んでいる」と極端に思い込んでいて、それを信じて疑わない障害である

 冷静に考えれば、今の時点で自己弁護をすることが(しかも記者会見や文書発表ではなく、一放送局の一番組の中で)、自分にとってプラスになるかマイナスになるか、大の大人、それも大相撲の世界の一部屋を担う「責任者」であれば、容易に気が付きそうなものであるが、気づいていない。その上、弁護内容が「弟子が勝手に・・・」では、トカゲの尻尾切りどころか、胴体から切り離すようなものである。
 時津風親方は、親方という「頭」だけで生きていけると思っているのだろうか?


 ・・・・・まあ、きっと、生きていけると思っているのだろうな。
 そう思っているからTVに出て妄言を吐いたのだろうし。
 だからこそ、人格的障害を疑うのだが・・・・・。


 おっさんの見るところ、この1日2日の親方は病的な領域に入りつつあるように思う。事態が余りにも自分の(甘い)予想を超えた展開になってきたので、障害傾向にある脳が対処しきれなくなり、究極の自己防衛プログラムが作動しつつあるのだ。
 究極の自己防衛プログラムとは、自己の崩壊を防ぐために用意された最終手段『暴走』である。


 誤解のないように言っておくと、親方が病気になりつつある、のではなく、病気の症状を無意識に演じるようになりつつある、ということである。

 
 こういった事件の常で、『事実』はひとつのはずなのだが、関係者それぞれによって信じる『真実』が異なるため、ニュースとして旬のうちに真相が究明されるかどうかは実に怪しい。

 おっさんの予想としては、遠からず時津風親方に相撲協会から何らかの処分が下され、それに伴い真相の究明場所は法廷へと移っていくことになるだろう。その時点できっとニュースとしての商品価値は暴落し報道からは消えていくに違いない。

 しかし、おっさんは非常に今後に興味があるので、できる限り追いかけていってみようと思っている。


 今後は、たまにはこういう時事ネタも書いていこうと思っています。

興味のある方はお付き合いください。

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ニックネーム ウィルとーさん at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんのつぶや記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする